ブロッキングに支持表明する出版社は、自己の存在意義を否定しているのでは?

 講談社と集英社は、政府の海賊版サイトへのブロッキング方針を決定したことを受けて、緊急声明を発表。ブロッキングを支持する意向を示しました。

 集英社は「大きな前進」と評価。講談社は「ISPや流通事業者などの協力は不可欠」としてアクセス遮断に期待を寄せました。

追記:KADOKAWAも支持を表明しています。

kadokawa-blocking

(KADOKAWAの声明)

 議論の成熟を待たない、明らかに拙速な今回の決定ですが、討議を行った知財本部の資料には、誤りも指摘(リンク)されています。世界的に見ても、司法も立法も経ないブロッキングは完全に無理筋だと思います。何より、出版業界に代わって、ISPが主体となって手を汚してブロッキングに関する法的リスクや諸々のコストを負うという不可解な構図にもなります。

 違法ダウンロードに悩まされた音楽業界では、生き残る会社もあれば、時代に適応できず潰れる会社もあり、新たな可能性を模索して生まれた会社もありました。激しい競争と試行錯誤の末に、音楽業界は新しいビジネスモデルへの転換を果たしつつあります。そんな彼らも、権力にブロッキングを導入させたことはありませんでした。

 政府による特定サイトへのアクセス遮断といった行為は、検閲の禁止や通信の秘密を定めた日本国憲法に違反する可能性が高いものと考えられます。そのようなものを導入すると政府に提示されたら、出版社は「施しは受けない」、「馬鹿にするな」と怒るのが普通でしょう。出版社は表現を守る立場にあるからです。あろうことか、そのようなものを歓迎・支持するというのは、もはや自殺行為と言って差し支えないのではないでしょうか。出版社の歴史に大きな汚点として刻まれることになるかもしれません。

 インターネットや電子書籍の発達した昨今、「インターネット全盛の時代に、作家はもう編集者・出版社を必要としていないのではないか」というのが時々話題になります。最も直近で話題になったのは先月だったと思います。

 今回の海賊版漫画サイトの問題を契機に、こうした議論がより活発化するのではと予想します。出版社も激しい淘汰と選別を経て、インターネット時代に適合した形へと進化する時なのかもしれません。

 豊かな表現を魅力とする漫画文化の未来のために、ブロッキング以外のあらゆる手段が講じられることを切に望みます。