「Windows Phoneなど意地でも使ってたまるか」、という偽りならざる感情が本音としてあったことは、否めない。
それは不健全で好ましくない態度だが、心のどこかに蠢いていた率直な気持ちである。
というのも、かつて愛したWindows Mobileというモバイル向けOSが、易々と、完全に切り捨てられ、挙げ句できたのが、レジストリのカスタマイズすらできない不完全なシロモノだったからだ。このWindows Phoneという名のOSの完成度をまだ知り得ない当時の自分には、「不自由の象徴たるiOS」の単なる模倣と追従にすら思えた。
もちろん、今さらレジストリカスタマイズなんて全く必要性を感じないが、Windows Phone 7が登場しようという時には、そう思っていたし、オープンソースとして登場した「自由なプラットフォーム・Android」にWinMoのオルタナティブを求めることによって、Windows Phoneを無視することを心に誓ったのである。
そう、コイツが登場するまでは。
時は流れて、Nokiaが社運を賭けてリリースしたLumiaシリーズのミドルレンジ・Lumia 800の白色が後から発売となって、友人がそれを輸入するとなった時に、ふと興味を持ったのである。
へえ、どれどれ、NokiaがモバイルOS・Symbian S60を捨ててまで、拾ってやったWindows Phoneって一体どんなのだい・・・そんなことを思いながら、ふとLumia 800の公式サイトを見ていると、へえ・・・不覚にも、結構かっこいいじゃないか、と思ってしまったわけである。
気づいたら、1shopmobileのLumia 800を、しかも軟派なピンク色なんぞを注文していたのである。驚いた。欲しいと思った時が買い時である。不可抗力だ。
因みに、Lumia900はサイズが大きいこと、無駄にLTEが載っていること、使えないにも関わらず価格が割高であることから選択肢から除外した。
これがLumiaだ!比類なき美しさと心憎いギミック
土壇場のNokiaの日本市場撤退で買えなかったE71や、WinMoへの深い思い入れもあって、なかなか自分にとってのターニングポイントとなりそうな端末だけあって、前置きが長引いたことを謝りたい。
輸入後、まず最初に感嘆した。それはハードウェアの美しさだ。
ホワイトのLumia800はつやつやしているが、ピンクは艶消しでゴムのような質感のいい塗装となっている。さらに全体として丸みを帯びており、横幅がわずか61.2mmの筐体の、持ちやすさに大幅に貢献している。カバーを付けていないにも関わらず、カバーを付けているかのように持ちやすい。
驚くべきことに、ディスプレイ部分のガラスまで婉曲していることに気づく。中央が盛り上がり、ディスプレイと一体となって、筐体の上下部に弧を描いている。さらにクリアブラックパネルにより、ディスプレイとその周囲の境目は、画面が消灯しているときには溶け込むように一体化している。
XPERIA rayにあったような素材の選定からデザインに至るまでの統一感や、ソニーエリクソンの掲げていたヒューマン・カーヴァチャーに通じる哲学を感じられるようだった。
さらにこの丸みを帯びた筐体に秘められた「あるギミック」が、非常にガジェッターの心をくすぐる仕掛けになっている。
上部の端にあるポッチを押してやると、シーソーのようにmicroUSBの蓋が起き上がる。これが、SIMスロットの解錠の合図だ。反対側にあるソリットにツメを引っかけて横にスライドさせると…
SIMスロットが上に押し出されるという、珍しい技巧が施されている。ここに率直に惚れた。ベタ惚れした。
Windows Phoneといえばソフトウェアでの差異化が難しく、ハードウェア要件も細かく指定されるため、各メーカーの個性を出しにくいというのが通説だが、やはり携帯電話の巨人・Nokiaの珠玉の機種だけあって、そんな心配も杞憂であった。本能的に所有したくなるデザインが追究されており、明らかに他のスマートフォンとの違いを感じられる。
ノキア、カムバック!と叫びたい
そんなLumiaのソフトウェア部分だが、NokiaのIDが必要となる場面があったり、Nokia MusicやNokia Map、Nokia Drive(カーナビ)といったアプリケーションがプリインストールされている。
Nokiaの地図が日本地域において全くお話にならないにならないのはSymbian S60時代からの通例であるため、泣けるほどの実用性の無さは今さら驚くに値しないが、メーカーがこうしたサービスをWindows Phoneというプラットフォーム上で自由に展開可能であるということが証明されているのは興味深いところだ。こうしたNokia独自のソフトウェア・サービス面の優位性は、日本で実感できないのはやや残念ではある。
また、今ではWindows Phoneならではとも言える特徴であるPeople Hubは、XPERIA X10のTimescapeでソニーエリクソンが示した未来を、着実に、OSレベルで組み込んで快適に実現しているのが非常に歯がゆい。
ハードウェアデザインの完成度の高さに大きく寄与しているのが、Nokiaの「BLACK AMOLED」と呼ばれる、その名のとおり有機ELパネルだが、前述した周囲に溶け込むかのような黒さと、さらに有機ELにありがちな写真の(やや過度とも思える)色彩の表現力は、特筆に値する。3.7インチというサイズも個人的にはジャストサイズで、エンターテイメント重視のスマートフォントしてはかなり好みのディスプレイだと感じている。ペンタイル配列でたかだか知れた解像度であるため、電子書籍などを堪能するには向かないと思うが、写真や動画を楽しむならぴったりだ。
People HubはOSの機能だとしても、高次元な端末デザイン、クリアブラックパネルに加え、カメラのシャッターボタンからの即時起動も可能となっているなど、XPERIAのような良さがある。もちろん日本独自機能ではXPERIAに分があるため、完全に置き換えるまでには及ばないものの、もし将来、Nokiaが日本市場に、Lumiaを引っ提げて戻ってきたら、非常に面白いことになるだろうと予感せずにはいられない。戻ってきてくれ、ノキア!
iPhoneですら、古く見える
Windows Phoneという革新的なモバイルOSは、アプリケーションという概念すら溶解させつつある。こうした前衛性は、iPhoneよりもさらにラジカルであると感じている。
通常、人はスマートフォンを操作するとき、「写真を見たい」「動画を観たい」と考える。iPhoneであれば、ここで目的を達成できるアプリを思い浮かべる。もし視聴したいのがyoutubeやニコニコ動画であれば、それにあったアプリを、無造作に並べられたアプリ一覧の中から探してタップする。
それに対して、Windows Phoneが前衛的であるのは、ここですでに「写真」「動画」という、目的そのものの名前を冠したハブがホーム画面上に存在していることだ。目的やそれを達成できる手段となるアプリを、いきなり思索するといった必要がない。
そして写真という項目の中には、カメラで撮った写真や、Facebookのアルバムや、インストールしたアプリ、たとえばInstagramでの人気画像や写真の入ったDropboxへの導線といったものが用意されている。動画を見ようと思ったら、「動画」を選び、その中にビデオや、インストールしたニコ動アプリが登場するのだ。
つまり、アプリの後に目的があるのではなく、目的の後にアプリがある、という非常にスムーズな思考で操作できるつくりになっているのだ。
また、従来は電話という目的の前に電話帳アプリを選び、電話をかける相手を探すという思考と操作のプロセスがあったのに対し、Windows Phoneでは、前述のPeople Hubからまず人を選んで、次に電話やメールといった動作やアプリを選ぶ、という順序になっているのも見逃せないポイントだ。
こうしたOSレベルでの大胆な再構築と作りこみが、独特の操作性を実現しているし、Lumiaがハードウェアだけでなく、ソフトウェアでも素晴らしいゆえんだ。
不自由の代償
しかし1ヶ月間使用して、おそらく耳にタコができるほど、誰もが口を揃えて言っていることだと思うが、標準のIMEが快適と呼べるものではないという現実がある。
Windows Phone 7.5から日本語対応となってるが、IMEの環境はiPhone以上に絶望的となっている。語彙が貧困であるにもかかわらず、辞書への語句追加もできないし、ATOK Padもない。このあたりは、もうMicrosoftとジャストシステムに土下座するしかない。
アプリがバックグラウンドで自由に動けないことはバッテリーのもちに寄与していると感じられるし、細かいユーティリティが使えないことによって快適さを得られているというのは理解できるが、日本語入力に関してだけは、Microsoftに再考をお願いしたいところだ。
総評:Windows Phoneは、これから始まる
ただ、それでもLumia 800は美しいし、魅力は衰えない。自由を犠牲にして、成し遂げたこれぞ革命である。もちろんこれ一本で全てを行うまでには至っていないが、それも時間の問題であると声を大にして言いたい。
アプリケーションも順次増えており、特にKrileは、iOSやAndroid向けのアプリケーションを圧倒する、比類なき機能と操作性を備えた化け物級のTwitterクライアントであると感じている。
日本でもNTT DOCOMOが冬からのWindows Phone導入を示唆するなど、現在のKDDI・富士通東芝の一機種だけというお寒い状況も、打破できそうな気配がある。
今のWindows Phoneを取り巻く環境はお世辞にもいいとは言えないが、そんなこともお構いなしに、Windows Mobileの思い出を噛み締めて、Lumia 800は今日も僕の愛機だ。