富士忍野村が開催した、写真コンテストの最優秀賞作品が「合成」と指摘されていることが、朝日新聞デジタルの取材記事でとりあげられ、Twitterで話題になっています。
写真に合成処理されているかどうかは、写真のすばらしさとは全く関係がないし、そもそも展示規約に「合成加工不可」を盛り込むことが、デジタル写真時代にまったく合っていないと考えます。指摘自体がまったく無粋・ナンセンスだと思います。
以下、論評は「1)応募規定自体の是非」「2)写真が応募規定に合っていたか」に分けます。
Index
時代にそぐわない「合成不可」規定
まず応募規定を確認する
今回の争点となった「富士忍野グランプリフォトコンテスト」のデジタル応募規定には以下のように書かれています。
写真の画像の合成、または加工は不可とします。
富士忍野グランプリフォトコンテスト | 忍野村公式観光ホームページ
合成というと、Photoshopなどを使って、全く別のグラフィックをなじませ、本来の画像にはないものを画の中にうつしだすことを、多くの人が思い浮かべると思います。今回コンテストでグランプリを獲得した作品は、富士山の上に月が見える構図となっていますが、この写真への疑惑が冒頭の記事で解説されています。
「申告の日時に、忍野村から朝焼けの富士山頂と満月が絡む風景は撮れない」という声で、そうした構図で撮影できるのは3年後までないという
富士山写真の最優秀賞に「合成」指摘 「満月撮れない」 – 朝日新聞デジタル
ここで僕はこのコンテストの規定に疑問を抱きました。まず「この件の作品が『応募規定』に合っていない」という点については、後ほど解説するので一旦置いてください。
応募規定の意図を推察
「合成、または加工は不可」という規定は「写らないものを、あたかもあるように画にするのがだめ」ということだと推測します。
というのは、このコンテストの開催理由を汲めばわかります。「富士忍野村の観光開発・地域創生の一環で、そのためにならない写真を不可とするため」という意図だとみえます。例えば、この地域にいない鳥が写った写真は観光の宣伝に相応しくないですからね。
今回だけでなく、似たような規定を「テンプレート」としてよく見かけます。「『肉眼で見えるものを撮った』ものだけ」とするのは、写真コンテストの規定としていかがなものでしょうか。
カメラは、既に肉眼の限界を超えている
読者の方はご存知と思いますが、現代のカメラは「見たままを写す」というものを完全に超えています。
たとえば、野球選手がホームランを打つ瞬間など、バットにボールがあたったシーンを想像すると思いますが、どれだけの動体視力があればその瞬間を見ることができますか?数千分の1秒で開閉するシャッターが実現した写真です。恐らく殆どの人が目では見れません。
背景が極端にボケた写真も大口径レンズが実現しているもので肉眼で見ることはできません。駅の入り口で人が密になっている光景も望遠レンズの圧縮効果で撮影したもので、その場所を訪れたらそれぞれの人はパーソナルスペース(1m前後)を開けて歩いていると思います。
線引きはそもそも困難
最近、僕はこんな写真を撮りました。
#銀山温泉 に行っていました。”千と千尋”の温泉旅館のようだと話題で気になっていました。大正ロマン感ある素敵な温泉地です。
「運よかったねえ、ウチ4ヶ月くらい予約で埋まってるけど、キャンセルが出たんだよ」確かに、どこで検索しても1人プランない笑。#ricohgr で撮影
これはすごいコンデジ📸 pic.twitter.com/uHyySWcEE1— らいち🦑4日目(火) “南”フ-46a (@ra1ch4) January 18, 2020
これは「多重露光」という手法を使い、Ricoh GR IIIというカメラを三脚に乗せ1時間程放置し、撮影した写真です。同じような手法はホタルの撮影や、花火の撮影などでもよく用いられます。
Pixelの星空撮影などスマホの夜景モードが多重露光を用いるのは一般的。
これらの写真は確かに「肉眼で見たままを忠実に写して」はいません。それぞれが全て、より魅力的にするために様々な手段を用いて工夫したものです。
「写らないものを、あたかもあるように画にするのがだめ」という規定を設けるのであれば、一体どこで線引きをして、何をその対象とするのでしょう。上記のような星空の写真や、蛍の写真はダメでしょうか。望遠レンズ圧縮効果を用いた写真や、超広角を使った写真は、肉眼で見た光景とかけ離れるのでダメでしょうか。
僕はそういった「撮影する『手段』を規定で限定する」ことは、現代の写真コンテストの規定には合わないと思います。
多重露光はカメラ内機能でもPCでもできる。RAW現像はその過程で現実と異なる色に変更できるが、これもダメなのか?jpgもいわば機械が現像していると言えるがそれは良いのか?
手段を問わず「魅力的な1枚を選ぶこと」がコンテストの本質
また、おそらく「あししげく撮影地点に通い、環境を整え重ねて苦労するのも写真」という価値観も、こういった規定の背景にあり、またはこれを支持する人も感じることと思います。「デジタル技術が進歩し、写真のあり方を問う声も出ている」と、朝日新聞デジタルの記事に書かれています。
でも、あえて言わせてもらいたい。手段によって「何が写真で、何が写真でないか」を決めて分断するのは、傲慢じゃないですか?
撮影手段は、それぞれの好みとモラルの範疇で選ばれるべきであって、魅力ある地域PR写真を選出する基準とは無関係だと思います。創意工夫して魅力的な一枚を応募したい、または選ばれて欲しいと思います。
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よい写真を撮るための方法論や哲学として、合成やデジタル処理に頼らないという考え方は、僕も支持します。だけど、それは個別の写真作品の評価にあたっては、ただのいち側面にすぎないと思います。だって「合成だから美しくない」とは言えませんよね。
コンテストに「合成部門」を設けた結果、「合成部門ばかりが活況を見せ、非合成部門が衰退した」という結果が生じれば、それはそれで現象として面白い。
審査員が見抜けなかったものを追求するのは野暮
ここまでは「応募規定自体の是非」の話でした。最後は、この「パール富士」と呼ばれる構図で撮影された富士と月の写真が、応募規定に合っているのかどうかについてです。
山梨)グランプリ作品は合成写真? 忍野村に指摘相次ぐ:#山梨 朝日新聞デジタル https://t.co/bZQjEUebDP
— 朝日新聞甲府総局 (@asahi_koufu) June 4, 2020
今回は予め示されていたこの規定に「合成、または加工は不可」とあるので、写真にその疑惑が生じれば批判も出ると思います。(わかる範囲でこの記事が出る前の、この写真についての指摘を検索して調べましたが、インターネットでは見つけることができなかったことは、付け加えておきます。)
僕はコンテストの審査時点で、当の忍野村で審査する人が合成と見抜けなかった以上、それ以上の追求は野暮だと思ってしまいました。皆さんはどう思いますか。是非教えて教えて頂けると嬉しいです。